ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

今年やりこんだら見えたもの

初雪が降る前、木枯らしで枯れ葉がかなり落ちた頃。
枯野見散歩で苔の黄緑~浅葱色っぽいのがすごく鮮やかだったのが、
晩秋の記憶。
雪が降ると苔の色があせた印象。

初冬でも香りで南国感を感じられたのは、山茶花が沢山開いていた12月初め。
臘八接心ウィークだなあって思ってでかい禅寺行って、
凛とした場所、古い木造の建物の匂いとひんやりとした空気感、

暖房の匂いにぴりりと引き締まる思いがして新鮮だった。
12月8日頃、初雪かなというタイミングがひとつ仕事の区切りらしい。

でも、去年まで儂の中では文化の日立冬ぐらいがひと区切りで、

ああ、活動期終わったな、もう冬(ダウン期)だなと思う。目安は梅見まで。


今年は、暦、旧暦や二十四節気をやってるから、霜降くらいか、と目安ができた。
9月下旬に金木犀の香りに骨抜きにされて、10月初めに台風が抜けて、秋晴れが続いて、ちょっと気分も安定するとき過集中という冒険をした。反動の虚脱と気温低下が重なって、冬は早くきた。ぼーっと過ごした。本格的に雪が降る前にかんじきにアマニ油を塗っておくとか、もっとやれることはあったが、ぼやぼやしていた。一方でミニマムに暮らす、というのは実験できた。

去年、一昨年ぐらいか、疑問を持った。
もしカレンダーやメディア(PCやスマホ、テレビや新聞など)がなかったら、
自分は今がいつなのか、これから暑くなるか寒くなるかなど、どうやって知るのだろう?と。

まるまる一年以上かけての生活体験の中で導出した解は、
その季節季節で巡りくる風の香が、幼いころからの記憶を呼び起こすことで、
今がどういうときかおおよそ知ることができる。
風の香、

といっても、

花や草木の匂いが風に溶け込んでふんわり香っているのだ、とも。
太陽の光の加減でも感じ方が変わる。うつろうものだ。

数十キロ移動したくらいで、1週間ぐらい季節が進んだり戻ったりするのも実感した。
地理的移動は場所だけでなく時間、時代を遡ることも伴うイメージは文明が発展途上か先進かぐらいの意味合いでは認識していたが、それは先進国から発展途上国に昔ながらの暮らしを見るとか、首都圏から新幹線に乗って目に映る田舎や地方都市の風景で、発展する前はこういう段階を経てたのかなとか思って見るときで、
ちょっとした通勤・通学・通院の距離について意識してなかったから新鮮だった。

鼻がツンとする冷たい日に、餅でもふかすときの、白い湯気に酸っぱいような民家の温もりを感じる匂いには、切なくなる。
冬以外の季節でも夕暮れ時のご飯作ってるっぽい民家の匂いにも切なくなる。帰り道、乗り換えなどで郊外の住宅街を横切るなどで不意にその匂いと遭遇した日もあった。

切なくなるのは、自分が育った家でなく、よその家なら当たり前のように家庭で温かく迎えてくれてそうなそういう匂いに包まれてるんだろうな、など幼いうちから何度となく想像していたから。自分の家ではそういう匂いがしないから、なおさら手の届かぬもののように思えてた。

思えば自分ちの匂いがわからないのはあまりに慣れてしまっているからで、
ガチ掃除をしてみれば、いかに目に見えない菌や虫とともに暮らしているかが分かってきた。
歯磨きも掃除も、菌のマネジメントだな、と捉えるようになった。
漢方で気をめぐらすのにキノコって聞いて食べる頻度上げるようになった。

去年秋ごろから、日光浴を意識して、日の出散歩してたが、
日を待つ場所で日が差し始めると喜ぶというある種の太陽礼拝の儀式のようになり、
今では、曇り空から気まぐれに太陽が顔を出しただけで嬉しいという
脳の回路が開発されてきたようだ。

今年の正月から基礎体温を測るようになったのは、今も続いている。アプリだと外れがち。
生理周期がもろにメンタルを左右し、作業量のパフォーマンスと相関するのが分かって、じゃあ、だめっぽい時期だけでも予測できるといいなくらいの気持ちからで、妊活目的ではない。
10代20代よりかは血気が下がってきたんだな、体が変わってきたなと感じる。

あとはリハビリトレーニングも一年近くやった。リハともも増えたか。60歳ぐらい年上だけど、干支一緒だねー。みたいな感じでフラットに。


読み書きや縫物など根詰めて目を使う作業は血を使うようで、
ちょっと体がしんどいからと苦痛を紛らわそうと、ネットニュースなどをだら見するのも悪手かもと思うようになったら、ネットは使うには使うけど、生きてみてて思いついたことや知りたいことが出て来て、想いがたまったら使う、みたいな感じで使い方が変わってきているように思う。

日没後は聴覚と触覚によるインプットの方が心地いい。

時間があっても気が向かなきゃやらないというかできない。気が向くには天候と体調が適しているのが前提。

寝起きの体調の感覚、睡眠時間のログ、基礎体温のログ、外気に触れて風を読む、実際に日中活動で一日プレイして、やろうと思ったことがやれたか、寝付きやすい程度の活動量だったか、活動量に対するエネルギー摂取は適切だったか、季節(温度湿度)変化に対応できているか。

徐々にプレイログがたまる。単なる時系列データでなく、感情とセットのひとまとまりの記憶として蓄積され、こういうときどうするか、というフロー図が描けるようになる。フロー図に、箇条書きで選択肢を列挙する。有効な選択肢はアーセナル入り。

セーブとロードは場所記憶にアクセスするのと前回のプレイログの呼び出しからなら取り組みやすいなと気づいた。

イマを切り取る・秋の気配

秋分、近い。朝なんとなく前より寒い。

太陽を拾いに、日の出散歩。

遠足のテーマ、秋の七草

日を待つ場所で、ぼんやり。

日が差してきた、キラキラ光る、草の露。

はちみつのよう、あまいあまい、フジバカマ!の香り。

ひらひらひらひら、アサギマダラ!

田畑の近く、スモーキーな薫り。胸がきゅっとなる。

レッドロビン、上から色づく。
レッドロビン、中学の校舎の周りにもいたっけ。

横になって日光浴。
薫りに包まれて、今と記憶が交錯する。

その今も、特に意識せずとも記憶の地層に堆積していく。

葉月の禊の身体知

禊を体験してきた。ってことで体験記。

 

結構、最初の方でお神楽を上げる。

打楽器のこの感じ…。

ゲームで聞き覚えのあるような…。FF6の獣ヶ原のBGM?

 

入場でエッサ!エッサ!って声出しながら走ってくやつ、

運動部のランニングっぽい。

 

手を少しだけあいだ開けて合わせるようにすると、

手と手の間にほんわりあったかいものがある気がするが、

指先を曲げて包み込むようにすると、

あったかいものをまあるく手で包んでいる気がしてくる。

そのまあるいのを感じながら、ふりふりする。振魂をやる。

たぶん、まあるいあったかいものの扱いが熟練して行きそうな気がする。

この技術、幼稚園のときに知っておきたかったわい。

 

鳥船運動はウォーミングアップ。

声出しながらの腹筋と背筋の交互運動という感じは、丈夫的。

和歌は、出羽三山の三語みたいな感じだが音程が違う。

とにかく、音程ずれてても声出して、

お手本の動きに合わせて身体動かすうちに、

チューニングされていくはずってのは、

運動会の応援歌練習と似た印象。

 

雄詰はセーラームーンのピースをおでこに持っていく、

みたいな決めポーズの変形の印象で、ピースでチョップする動きをする。

手の高さ的に、棒でも持って上段打ちがイメージ近い?

武道で技を決めるときエイ!っていうのおんなじだ~って思い出した。

 

ハイライトは水に入っての、大祓詞の斉唱。

魔道士たちによる大魔法発動の呪文っぽい。

あるいはものすごい召喚獣、龍系が出るとか。

ロケーション的な属性は、水のクリスタルがありそうな聖地だし。

 

やはり眼の前でお手本を見ながら繰り返し動作すると、

説明では省かれがちなディテールが見えてくる。

回数やれば、動作も洗練されてくるだろうし、

声の出し方もいい塩梅になっていくだろう。

 

ユニフォームである白衣(はくえ)を手に入れた。

梅ふきん作って使ってみた

梅ふきんなるものを知ったのは、辰巳芳子『庭の時間』p.79~80から。

『庭の時間』(辰巳芳子)の感想(12レビュー) - ブクログ

 

 

昨年秋に気になっていたものに、ようやく着手できた。

七十二候「梅子黄(うめのみきばむ)」。6月16日「嘉祥(かじょう)の日」は和菓子の日!(tenki.jpサプリ 2016年06月16日) - 日本気象協会 tenki.jp

 

使い古しの布切れを適当な大きさに切ったものを素材ごとに分類し、

まだ慣れないうちは、煮る前に布を一度水に浸して絞るのを忘れたり、

布が煮汁を吸ったため琺瑯の鍋の水が減ったのを

水を足して温度が上がるのを待ちながら、

先に引き上げた布が冷めたら絞り出した煮汁を鍋に戻すなどしつつ、

調子が出てきたら絹の端切れも煮てみる。

色の濃いもので色落ちすることもあるので、

どれから煮出すかの順番を考えたほうが良かったなと反省。

煮上がった布はつぶれた梅の皮などが付着するので、

洗い流して絞って干す。

絞るとき、なんとなくにゅるっとした触感がある。

干して乾いたら、畳んで普通のふきんとは分けてしまう。

本によると、毎年煮直して使うらしい。

 

さっそく絹の梅ふきんで、漆器を拭いてみた。

てろてろと光る様子を見ると、

心も磨かれたかも、と思える。

ちょっとした掃除の援軍として参加するときは、

隠し道具で梅ふきんも一枚持っていってみようかという気になる。

 

春先に梅の香りに包まれると、幼稚園あたりの記憶にトリップする。

熟れた梅の実の甘い香りは、小学生ぐらいの記憶にトリップする。

そういえば、ままちゃんが梅の実をザルに広げて、

天日干ししてたっけ、と思い出す。

 

嘉祥の日ってことにかこつけて、

あんこものを頬張りながら、小豆で除湿。

と、図書館本で覚えたての知識を試しながら、

 

自分歳時記を書き込んでいく。

80代的趣味

ほどよく田舎に近かった大学時代からハマってしまったマイブーム。

マイブームといいつつ10年以上継続。

自分なりのテーマのある旅行?ってことになるんだろうか。

 

寺、神社、遺跡を散歩して巡り、近くの温泉や銭湯で汗を流す。板碑もあれば解読。人文系フィールドワーク。

山、森、巨木探訪で散歩(登山)して、近くの温泉で汗を流す。産直所に寄って新鮮野菜を手に入れて、レッツクッキング。自然系フィールドワーク。

 

お金もあり余暇を持て余す老後の趣味といえば。

70代、庭いじり、ガーデニング

80代、神社仏閣遺跡巡り。

ってのは、『老いの整理学』あたりで読んだんだっけか。

二十歳頃から80代の趣味…。なんだろう、若くない。

そういや、詩吟とかも少々手習いをしたし、

北山の輪王寺で座禅もした。

 

学生時代にこんな生活やれたらいいな、と思った妄想は、

出雲大社みたいに大きくて古いモノがあるところの現地に滞在して、

気長に観察と体験を通じて現地で今何が起こっているかを把握して、

地元の図書館で郷土史の本を眺めたり、

地元の郷土史家や古老たちに話をきいて、

天気のいい日にときどき裏山(たいてい信仰の山)とか、

磐座(いわくら)とか登って見に行って、

道端の祠や石碑の解読をして、

言い伝えのルートの伝承と

文献の記述(ネット情報含む)からの伝承と

遺構や木や巨石の位置など現物を相手にして読み取れるものとの

diffをとって、矛盾点や空白部分についての謎解きをしてたら、

絶対退屈しないで楽しく暮らせるってこと。

そして、もうすでに、

それに限りなく近い生活してることに気づいた。

 

幸福のポートフォリオは、

自分の手持ち時間(可処分時間、健康寿命、時間資産)をどう配分するか?

にかかってるけど、このフィールドワークにはかなりつぎこんだな、と。

 

ただ町をぶらぶらして、

気が向いたら地名や歴史の辞典や郷土資料を読むとか、

古地図や地形図、ネットでデータベースを眺めるだけなのだが、

1回2回なら誰にでもできそうなことを 非凡な回数 反復すると化ける。

(ブレイクスルー関連の本にだいたい書いてあった気がするが書誌情報忘れた。2005~2009年のどこかで読書のいずみで見かけたような)

 

あ、読書のいずみってWEBで読めるようになったの~。(遅

大学の空きコマになんとなく生協に寄ってパワーリーディング(生理後~排卵期頃が言語の処理能力上がるらしいので、インプット期かな、と)の傍ら確保して、

大学卒業後も、わざわざ現地の近隣の大学生協に行って読んでたんだけど。

読書のいずみWEB版とは?—コミック版— |全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)

 

コミュニティのゆるさを象徴するものの脳内イメージ。

現地の神社や寺の入り口の囲いがガッチリしていて、

神木も容易に触れられないよう囲いがされていると、

うわー、ガードかったいなあ。警戒されてんなあ。と思う。

 

天津神を祭ってるとことか大きいとこはだいたいガードかたくて、

地域コミュニティもゆるくなさそうなんじゃないか、と。

中に迎え入れてもらえたら居心地いいのかもしれないけど、縛りきついの苦手だし。

まあ、害意のある人も含めて色んな人が来て、

様々なトラブルがあったのを踏まえているんだろう。

 

国津神を祭ってるとこは、ゆるい感じがする。

木にもアプローチしやすい。

地域コミュニティもゆるいんじゃないかと。

ゆるいけど、まなざしはある。手入れもされている。

 

広島の三原だったか日曜あたりの早朝に

地元民がわらわらと集まって箒で掃除しているのを見かけたことがある。

ああ、ここのコミュニティは機能しているんだな、と

朝日に包まれながら、ほっこり思ったのである。

 

関連記事。60代並みの生活経験知を頭に搭載した30代の肉体を生きてみたい。

akisibu.hatenablog.com

発達障害、優先順位がつけられるようになった

一秒がどれだけ濃ゆいか?

単位時間あたりのQOLの高さ。

(効用って言ったほうが経済学っぽいけど、人生の質にこだわる)

 

もはや今の判断基準がそれ。

 

消費活動は、

稼ぐために費やした時間

+使用して体験するのに費やす時間

から得られるQOLの高さで評価。

 

稼ぐために費やす時間のQOLがマイナスなら消費は最低限に、という考え方。

(我慢料稼いでるんだからその分気晴らしに、というタイプの消費はしたくない)

 

同じ目的地に向かうのに、

時間効率からしたら平坦な車道の脇を通るのがスマートでも、

三太郎の小径みたいな緑があって爽やかな風が流れて、

木漏れ日がゆらめく趣深い枯れ葉でふかふかした道をやはり歩みたくなってしまう。

今年買ってよかった経験。かんじきウォーク

ふきのとうと縄ないスキル獲得 - ド地味生活

山の仙人みたいなお師匠さんたちから、

山の知恵を教えてもらう、の続き。

 

授業料払って、わかんじきで歩く。

平地やら斜面を猟師さんの後ろをついて話しながら歩くと、

自己流で使ってみての気づきでよかったのかの

答え合わせになった思いがした。

 

モンベルの上着、釣具屋の長靴という装備はバッチリだった。

不足していたのは杖、というか杖サイズの木の棒。

猟師さんの杖の使い方をまじまじと見る。

たぶん、物差しとして長さが分かるように印をつければ便利だ。

 

昨年、この冬の雪が凄そうな風を読んだ。

(観天望気:カメムシが多かったら雪多い、猿が出たら翌日は雨。

カマキリの卵の高さと積雪量、ハチの巣の低さと風の強さなどを採集)

 

それをうけて、立山かんじき(芦峅寺の爪付き)をアマゾンで購入。

前回のかんじき話。

かんじき作れたらかっこいいなと憧れる - ド地味生活

 

読みはあたりで、時折優雅なかんじきライフを楽しんでいる。

壺足よりも体力消耗がゆるやかで、距離を歩けることに気づく。

 

雪の浅いところはつま先歩きで爪部分への負荷を小さくする。

足を高く上げて、雪の面に対し並行になるようわかんじきの足を調整し、

垂直に下ろす動作をキープするメンタルスポーツ。

角度が悪いとごぼる。足腰の筋力が鍛えられる。

 

花魁の歩き方、外八文字。

かんじきについた雪を払う狙いで、

前蹴りするように歩くとコサックダンスっぽい。

舞踊と生活動作の関連になんとなく関心。

 

月下の雪原、足腰の鍛錬場。

 

左足のバランス感覚が悪いことを実感した。