いい切り株を見つけてくつろいで思い出した。
近くにコンパクトな修行山があるといいなあ。
そんなことを6年前に思った。
周りが潟(がた)だとふらっと山歩こうって感じじゃないという環境下で、
代わりに海沿いの松林や川沿いのロング散歩をしながら。
以前は結構色んなところに出かけまくっていたし、
全国各地の寺や神社や温泉地をぶらぶらする中で、
「あ、これ、気に入った。」
というネタを仕入れていた。
今思い返すと、
大阪・池田の久安寺での寺の裏山の散歩道の体験が
大きく影響を受けている気がする。
「ここに隠居に必要ななにかがある。俺にはわかるんだ。いくぜ!」
池を見て裏山を歩いただけなんだけど、
時間を気にせず気の向くままに寄り道することや
同じ山を四季を通じてやりこむというのを意識した。
ちょいちょいロング散歩すると10kmくらい歩く。
靴の消耗は早い。歩き方の癖もある。
どのように壊れていくかの過程を見て、
次の買い物で見るべきポイントをつかんでいく。
よく見るのにいいのは、
やっぱり手で作ってみることなんだよな。
関連記事。修行らしいこととしての禊体験。