ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

ひきこもり無双

精進の道を進め。

放逸の道に逸れたら、さっさと軌道修正するのじゃ。

エポケー(判断停止)して吟味するのだ。

 

急に休校になって何したらいいかわからない子どもたちがいる。

彼ら彼女らは少し気がかりなことがある。

「こんなひきこもりニートみたいな生活して、

1か月くらいしてから週5出勤のまともな生活に戻れるのだろうか…?」と。

ちょっと寝坊もするだろう。外出禁止なら身体活動も少なめで夜までエネルギー有り余ってるから、ついつい夜更かしもしてしまうだろう。

 

朝、Youtubeでラジオ体操を流して、一緒に体操するだけでも一日のウォーミングアップになる。夏休みにやってたんだから、春にやってもいいだろう。

 

セミリタイアや定年退職、様々な人生上の困難などをきっかけに、

何の準備もなく引きこもり生活、外出御無理の御身体を生きる場合、

最も警戒すべきは、体力低下。特に、足腰が弱ることだと思ってる。

Sedentary Lifestyle=体をほとんど動かさない生活は、

洋の東西を問わず体を酷使する労働をしなくて済む身分の高い者の暮らし方のように思われポジティブに受け取られていたが、動かさなすぎるのも問題だ!と最近強調されてきている様子。

なぜか日本は年を取ってもお百度を踏んだり、階段がやたら多い聖地の参拝をしたりと生活にハードな運動要素が組み込まれていた。バリアフリーの真逆のバリア有りーどころかバリアしかない全国各地を巡って土地の気配を身体に刻み込むうちに、仙人仙女のように老いて衰えずの理想みたいなものがあると感じた。

身体が弱いとメンタルも不安定になる。

もっと強い体に生まれてりゃ、ああいう思想にはならなかっただろうな、と思う哲学者がいくつか浮かぶ。

食べるために生きるか、生きるために食べるか論争があるが、哲学者は後者だ。

ただ生きるより良く生きることを望むなら、

ただ食べるより美味しく食べることを考えてみるのも悪くない。

食卓の快楽(設えや音楽などでの雰囲気づくり、風味、一緒に食べる相手、食事が美味しくなるような愉快な話題)も重視する。

厄年行ったら、然もないものにハマってる。かにかまカニ酢をつけて食べるとか。

日々食べるものを吟味する。日々インプットするものを吟味する。

 

学校・大学や会社で必要だから役に立つからって言われてやってる勉強・仕事って、

本当に自分の人生で糧になる、糧にできるような中身があるか?って今から10年前に問いを持って、その時の自分の答えがNOだったから、

一旦忘却して、今まで身に着けてきたペーパーテスト用のお勉強は無かったものとしたっけ。

つづく。