ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

えあのこと

春が足踏みしている新月。梅の蕾は硬い。

雨水で空から降り注ぐものが雪から雨に変わる。

水の状態変化を類推させる霜降と対になっているように解釈できる。

啓蟄を前に、プチ衣替え準備。

厳冬の服をピックアップして、しまいやすいように。

旬の食卓でspring feverも腎虚の春も迎え撃つ。恒例の値上げの春のチェックも。

フキノトウが待ち遠しいし、新たまねぎが出たらたまねぎも安くなるだろうから。

粗食で苦い菜っ葉も食べるPassoverの祭りも、七草粥おせち料理みたいに思う。

エア「あえのこと」=えあのことで、

日頃から気持ちよくもてなし、もてなされることに思いを馳せる。

treatmentがうまくいっていれば、

折り入ってのお話やらtreatyやらも運びやすいだろうから。

社交やおしゃべりで元気になる陽気な方々と違って、

いつもいつも社交ばかりでは気疲れする(エネルギー吸われてる説も?)自分は、

retreatで充電することも必要不可欠なことで、

温泉旅館で文豪ごっこやひたすら湯治生活みたいなことも

選択肢として妄想するだけで気分がリフレッシュできる。

徐々に動き出して加速していくような雰囲気もありつつ、単調なリズムを一服。

『駅は今、朝の中』とか『明日、春が来たら』とか。

変性意識状態に入りやすい日に単調な作業を黙々コツコツこなす。

お仕事やご家庭文脈で、粛々と、淡々と。

と、こんな言い回しを本音にのせて言えるようになった頃、

ドントラ=DON'T TRUST ANYONE OVER 30ってムーンライダーズの曲が

10年以上昔とは違う解釈で聴こえる。

本が読めない文学部生として大学時代によく聴いていた頃は、大人は30過ぎると老獪になっていて信用ならない、だから若者がしっかりしないと。みたいな自立心がつっつかれる感じだった。

今年厄年の今は、様々な立場に憑依する見え方になっている。

仕事でも家庭でも趣味その他でも、守るものがある人たち、みんな忙しいよね~。あてにしないでね。あてにできないよね。って期待値コントロールしているんだねって眺める感じにもなるし、

それぞれの小さなコミュニティで任されて支える立場をてんてこ舞いの当事者が担っていて、時間がなくてキャパオーバー、一言でいうと「に・げ・た・い」気持ちになっている姿に寄り添って弁解している当事者のお友達やってる感じにもなるし、

同時多発で立て込んできたら、きりきり舞いの当事者の感じにもなるけど、それって「自分がやった方が早いから」や「他人様には任せられない」などと言ってしまうSクワドラントの罠なんじゃない?って問いを立てて、レスパイト・ケアの入れ時を考えておいている。

ケアする人のケア、「ケアする人をケアする人」をケアする人のケア…無限にケア連鎖するモデルを考えたときに、ケアしっぱなしの人は消えていくので、ケアされっぱなしだった人もどこかで見えにくい陰の領域で隠れてケアする人として鎖のどこかに位置付けて、ケアの盆踊りのモデルでケアが円環する構造を思い描いていたから。

水の冷たさも緩んでくるから、住まいも滞った流れをspring cleaningで徐々に動かす。

 

腎虚の春の反省もあって、冬の過ごし方を点検しながら春に臨む関連記事。

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