20代半ばでエンディングノートを手にし、自分史年表を記入する。
就活だとライフラインチャートでx軸は時間軸(t軸)、y軸は気分のプラスマイナスでプロットし、人生山あり谷あり的な曲線を描くワークをした。
境遇の順逆と連動する気分の波に何らかの周期性があるならば波長λの周期関数、サインカーブとかコサインカーブとか合成関数とかで周期を予測可能な形に表現できるのではないかという妄想にも憑りつかれやすいのは疲れやすいのもあるが、見通しが持てないことへの寄る辺なさ、立つ瀬もなけりゃ浮かぶ瀬もない。後ろ盾の代わりに背水の陣、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。これでは、捨て身しか知らないから、自分を守るとか自分を大事にするとか、感覚がわからない。頭ではわかるが、上滑りする。
小中高大の卒アルを開いて、世の中の出来事欄でも見ながらの方が思い出しやすいだろうが、実家の片づけなんてラスボスもラスボス。始末の悪いこと。アルバム一つさえ、どこかに埋もれて引っ張り出すのは困難。当面諦める。
昔どんな夢を抱いたか、年齢を重ねるにつれ夢は変化する前提で、その移り変わりを記入していく。初志貫徹して夢を貫く、愛を貫くを美談にしがちな価値観では硬直性が効いて軌道修正しにくいが、ユメα版、ユメβ版とかでいい。そのユメを抱いた経緯や背景、文脈にアクセスして、そのユメを通じて本来どうしたかったのか目的を探れるほうが情報価値は高い。ユメの読み替えも可能になるし、抱いた夢の履歴から何らかの一貫性を見出せるやもしれぬ。
振り返りが一通り済むと、今後の夢について、達成すべき内容と予算と中間目標をいくつか、記入する。この作業で漠然とした夢がぜひとも死ぬまでに達成したい最終目標に置き換わり、プロジェクト化する。(脳内音楽:安室奈美恵のChase the Chance)
生活の理想は、どんな場所で、どんな人たちと、どんな風に暮らしていくか?という問いを具体化していく。何を大切にし、どんな人とつながりたいか。何が大切で、どこでどんな働き方なら働くことに希望が持てそうか。どんなところで何を大切にして生活したいか。
あー、いと口惜しや~。
これはセカンドライフに限らず、ファーストライフ(現役生活)で、就活よりはるか手前の進路相談あたりで知らせてほしかった。じっくり考える時間と心の間合いとまともに話しができる間柄があれば、やれたのかもしれない。
中学で職業を調べてくるよう宿題を出されても、人生とはかみ合っていなかった。次の進学先が決まるかどうかが進路の一大事で、その先の判断は先送り。
されど当時の自分には、夢も希望もなし。ここではないどこかへ。人と関わるのが苦痛。生活が嫌い、怖い。統制環境じゃないからどこから何が出てくるかわからない。
ああなりたいというロールモデルがあればそれに近づいていけばいい。永劫の過去に経てきた全ての生の相が加持され(津田真一『反密教学』は再読したい)、愚悪なる人生(愚悪なる習慣の束の連なり)から自分の代で皮を脱ぎ捨てるようなあたわりものは「ああはなりたくない」から反発して反対の極へ走るも、皮肉にもなりたくなかったああいったものに限りなく近づいてしまう。(脳内音楽:坂本真綾のループ)
理性の刃物で、ああなりたい部分とああはなりたくない部分を切り分け、ああなりたい部分のうち、ああはなりたくないにつながるところがないか吟味する。ああはなりたくない部分のうち、ああなりたいにつながるところも吟味する。
おいしいところだけ、食えるとこだけいただくというのはなかなか大変なことで、生鮮食品の腐ったところを取り除いて食べようとして、どこまで許容範囲かという問題設定に近い。
仕事とお金のテーマは2つの問いがはっきりしてくると人生捗る。
問1.自分の人生、トータルでいくらかかりそうか?
問2.それを賄えるだけの働きとは一体どれほどのものか?
問1は20代前半までだと選択肢が多いから見積もりが難しい。人生における固定点ができてくると絞り込みをかけやすくなる。40歳頃だとかなり見積もりしやすいかと。
ただ生存するだけの費用の算出もできないのが、辞令一つで来年どこで暮らすか全く見通せない働き方。その上乗せ分である夢の予算の計上も困難なので、できるだけ金額は多いに越したことはないという安心感というか安全牌を取って、なるべく長く働き続けて結果的に夢を先送りする方向に行きがち。準備なんてない、行き当たりばったり、やっつけ人生の出たとこ勝負。職場に残った者を一瞥して、皆安全牌に見えて、まだ大丈夫、時間はある、と言い聞かせる。親世代がだいたいそんな感じ。生存、生き延びることが至上命題って感じの呪いが強力。
その強力な呪いをさらに辿ると身内でがっちり固めて他を排除する祖父母世代が見えてくる。(冥王星かに座時代、何か納得。)不用意な人間は取引交渉のテーブルにすらつかせてもらえない、あの空気。戦争を経験し、肝心な時に裏切った者と裏切らなかった者の顔を覚えている。潜り抜けた死線の数だけ信じられる仲間がいる。何よりもまず食い物の恨み。着る物への執着。痛みの記憶に触れたとき、繰り返し災害が起こり、人災も起こる。基本的に信じるものなどない方がこの災害列島では適応的なのではないかとすら思えてくる。信頼しきってぬくぬくと暮らしていたのがあるとき突然投げ出されて、初めて被投性を自覚したとき、その落差がきつい。「(他人に頼ると……いつかつらい思いをするんだ)」(FF8スコール)奇しくも気づいたのが基本的信頼感が欠けていることで、どうなんだろうと悩んでいる折。自分が大事にされていても、これは大事にされているのだと心でキャッチできないことで、ヒトとして何か欠落してる感。他人に頼る能力を封じて支払った代償。頼りになるのは自分だけ。(脳内音楽:アークザラッドIIIシェリルのテーマ)こうすれば有利に生き延びられるからと生存のための外面的パラメータを伸ばす。その挙句、その自分が当てにならない。いくら伸ばしても、埋まらない内面的パラメータ。そもそも生き延びたいという欲がない。生存?そんなものは…"Vivre ? les serviteurs feront cela pour nous"(リラダン『アクセル』)
生き延びた暁には美味しい思いにありつける勝者総取りという希望。備蓄ガチ勢が夢見る赤い幸福。赤い幸福は(クロノ・クロスのキッドのセリフ)、血塗られた赤だろうな。気前良く分け与えたりなんかしたら「どんな思いで育ててきたかわかっているのか」とぶん殴られるに決まっている。どうやったか知るのも恐ろしいがだいたいは想像がつく、そんな生き残りの末裔か何かだと考えると筋が通る。「別にそんな思いしてまで生きなくても。生かされる側がどんな思いしてるかわからないだろうなあ」と頭上のダモクレスの剣に目をやるが、その立場に置かれたものにしか目には見えないという。思い出すのは『九条殿遺誡』の詩で心得を伝えるくだり。(要約:人生崖っぷち)
詩云。戟々慄々日愼一日。如臨深淵如履薄氷。九條殿遺誡 - Wikisource
戰戰慄慄,日慎其事 『説苑』談叢22
https://ctext.org/shuo-yuan/tan-cong/zh
戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。『詩経』小雅・小旻之什・小旻
https://ctext.org/book-of-poetry/xiao-min/zh
深淵を覗き見た人といえばギルガメシュ、エンキドゥを喪ったギルガメシュの悲しみはパトロクロスを喪ったアキレウスと重なる。
アキレウスの母テティスは父より偉大な子を生む宿命にあり、父を脅かすルートの回避策で戦死する宿命にある人の子を生んだわけで、いつ我が子を喪うか気が気でないが我が子以外はどうでもいい感じは、「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思もせず」(夫が防人に行き、物思いに沈む者の心のうち。他人事で済むなら良かったのに)
古代ギリシャといにしえの日本のうたのこころ、おおらかさがなんだか似ている。
『ギルガメシュ叙事詩』標準バビロニア語版第十の粘土板のim-mati-maが続くあたりは特に味わい深く感じられた。
いつしか、いつまでも、家建て、封し、兄弟で分配、国に憎しみ、増水氾濫洪水。
死ぬ宿命はある。ただ死ぬ日の日付は不明。
始めは僅差だったのが富を蓄積し相続を重ねて累積する側と大きく差をつけられる側に二極化し、募る不公平感が爆発する。叩きつける雨風も洪水も戦争や激しい攻撃の比喩と捉えれば。一連の周期現象が歴史の中で繰り返されているとも捉えられなくもない。
https://www.ebl.lmu.de/corpus/L/1/4/SB/X
| 308 | im-matī-ma nippuša‡ bīta |
| 309 | im-matī-ma niqannana qinna |
| 310 | im-matī-ma aḫḫū izuzzū (zitta) |
| 311 | im-matī-ma zērūtu ibbašši ina māti |
| 312 | im-matī-ma nāru iššâ(m-ma) mīla ubla |
| 313 | kulīlu iqqeleppâ ina nāri |
| 314 | pānūša inaṭṭalū pān šamši |
| 315 | ultu ullânum-ma ul ibašši mimma |
| 316 | šallu u mītu kī (pî) aḫāmiš-ma |
| 317 | ša mūti ul iṣṣirū ṣalamšu |
| 318 | lullâ mītu ul ikruba ina māti |
| variant₁: | lullû amēlu edil ultu ikrubū […] |
標準バビロニア語版第十一の粘土板。
富より命。財より命。
https://www.ebl.lmu.de/corpus/L/1/4/SB/XI
| 24 | uqur bīta bini eleppa |
| 25 | muššir mešrâmma šeʾi napšāti |
| 26 | [m]akkūra zēr-ma napišta bulliṭ |
| 27 | šūlī-ma zēr napšāti kalāma ana libbi eleppi |
その「とにかく生き延びろ」が呪いで辛い。既に生き延びた先の生を享受してしまって、生き延びたところでたかが知れている。ますます呪いは煮詰まっている。「人の深き用意は難きわざなりけり」(『源氏物語』若菜下)なれど、後生畏るべしで、いきなり和了を仕掛けてくるだろう。
どんな夢を持ち、実行時期がいつ頃で、それまでにどのくらい予算が必要か、調達する手段はどうするか。死に物狂いで働いたとして、予算の不足分の足しにどの程度なるのか。夢にかかる予算が膨大で稼ぎが追い付かない場合、夢の方を介錯する必要も出てくる。
働きの方が予算を大きく上回っているが、結果的に夢のプロジェクトを実行する可処分時間や可処分体力が不足する事態もある。
不足どころか命を落としている例も見聞きして知っているが、夢を夢のまま夢見て幻となった方が、リアリティショックは避けられるし、夢ロスにも陥らないから、ある意味幸福なのかもしれない。
人の手で触れられないものは汚されないまま。intangibleもintegrityも根っこが同じ。
今も儂は、あるお寺でお願い事を書いてと紙を差し出され、「願いは無い」と返したときのまま。
