ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

GWにひきこもりつつ思ったこと

GWに行ったところ。ヌカハウス。

行った理由。たけのこのあく抜き用でぬかを手に入れたかったから。

 

(一般就労に向かないだろうし、作業所や訓練施設に通うよりは、その時間と労力を、きっとこういう生活の知恵的なものを身につける方向に向けた方が余裕を作るには合うような直感がしたのが2011~2012年頃のこと。

「余裕つくろう」のキーワードがこぼれ出て、25歳から基本的生活スキルに全振りした。

昼夜逆転から朝に太陽礼拝ができるようになると、公共交通機関で里や山に移動できたり、回収時刻までに郵便ポストに投函できたりゴミ出しができたりするので、できることが増えるのだが難所である。)

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ヌカハウス。というネーミングセンス

タケノコを煮込んでいる時間、わらびのあく抜きをして漬け込んでいる時間など、

放置の時間で、

他の料理したり、掃除したり、片付けしたり、他のところに出かけたり。

線形計画法とか最適化問題として方程式立てて解くとかガントチャートみたいなグラフを書くということもせず、

ただ一日の必修科目を1~2個程度思い描いて、必修だけこなすのも味気ないから、選択科目で日常の枠から羽を伸ばす遊びというか楽しみを1つくらい入れて、必修が前倒しで終わったら、遊びの領域が増やせるよっていうインセンティブで動いている。

原型は、小学校の宿題が終わったら、おかぴーが用意したドリルを決まったページ数解いて、やることやったら、夕飯の時間までゲームやり放題。早く終わればプレイ時間が長く確保できるし、誤った回答をしたらゲームから引き戻されるので、速く正確にやるのがベストになる。

 

独身なり家族が近くにいないことは、家族に時間を取られないことを意味する。

この春から、子どもが親に振り回されないために親に向けて遠隔でトレーニングを施している。(これって親トレ?)習慣を少しずつでもできるところから置き換えていく。面倒見は悪い。

 

キャリアのVSOPがあるなら、読書のVSOPもあるのだろう。

キャリアと違って読書なら子どものうちから取り組んで読み進めることも可能だし、人生のある一時期にガーッと読み込んで進めることも、コンスタントに読みこなすこともありだろう。

読書も本を通しての出会いなので、対人関係にもVSOPはあるのかも。

バラエティに富んだ義務教育期間、進路志望が同類の学校生活や見習い生活とか…

 

星の時間、それも北辰の時間。北極星、妙見か北斗七星かもよくわからない。

若き日に見聞きし触れたものがその後の方向付けをするというのを鑑みると、

動かないけど燦然と輝いて道を照らす存在があるような気もしてくる。

スマホなしで旅をする

スマホなし。ガラケーはある。

SNSや各種メッセージアプリのチェックしないし、ネット検索も限られるし、

宿は寝床として睡眠確保が重要。

たくさん歩くからなるべく湯舟には浸かりたいので、

近くに銭湯とかあると行こうと思う方。

地図は現地の観光案内所でもらったマップ数枚と、

事前にプリントアウトしておいたが縮尺が微妙だったグーグルマップ。

 

連休も過ぎ去っての京都。

土地勘がなく、日も暮れてゲストハウスに向かって歩く。

二条駅から「二条城見当たらんのう」とか思いつつ、

御池通り歩いてたんだろうけど、神泉苑とか気づかず。

堀に気づいて、堀の周りを歩いて二条公園脇を通る途中、

夜のランナーを結構見かけた。

鵺大明神とやらに足を止め拝んだ。

付近に陰陽寮跡地とかあるの気づかない。

小さいお地蔵さんとかあるとついつい手を合わせてしまう。

平安宮一本御書所跡とか公園とか近辺フラフラ。

公園に公園の名前が書いてないような…

だんだんたどり着けるか不安になってくる。

それに輪をかけてチェックイン時刻が迫るし、

タイムプレッシャーで焦ると悪い方に転びやすい。

なんか見えるはずない浅葱色の平安ファッションの男性が歩いていた…

ような気がしたり、

落ち着いて見たら気づけそうな看板も見逃していたりしてたのかもしれない。

認知のステータス異常。

色々迷いながら、ふと弘法閣大師堂が目に入ったら、

スーッと涼風を感じて気を取り直して、

なんか見つけられそうな気がするって自信が湧いて、

こっちだろうって方向に行ったらすぐゲストハウスの看板を見つけた。

 

暑い日でも、あの日の光景を思い出すと、

ちょっと涼しくなる心の引き出しが増えた。

 

日々判断の連続。

キレのいい判断に自信がなくなったらエポケー、

涼風を求めてふら~っと、滝など見に行くかってコマンド生成。

GWと年末年始休みのdiffをとる

地元の広報や回覧は積極的に読むほう。

30分は読解に支払う。(お金のごとく、時間と注意資源を支払うという感覚)

今日とか明後日とか一部平日扱いで対応になる日があるっぽい。

 

図書館、美術館、博物館、体育施設が開館しているのが年末年始と異なるので、文化施設に足を運ぶというのもいいな、と思っている。

 

閉ざされた異空間で時間の結晶体と向き合う濃密な時間。

 

出向くかどうかは結局天気次第だが、

雨でも降っててダウナーなメンタルステートで、

ぐだぐだ長湯に浸かりながら次のアクションプランを思い描いたり、しなしなと片付けや道具の手入れをしたりするひとときも気分よく過ごせるものだな。

ひょろキャリというキャリア形成

おおっと、こんなところで働いてる場合じゃねえ。

学校なんか行ってる場合じゃねえ。

そういうシチュエーションが何度かあってね。

 

バリキャリ?…いいえ。

 

ゆるキャリ?…いいえ。

 

ひょろキャリ…んだね。

 

別に大したもん積み上げてない。

だから、パッと手放そうと思えば手放せる。

ひょろっひょろのキャリア。

 

そういう気してると、続いてしまうものだな。

 

預金残高の多寡よりは精・気・神(三宝)を養えているかを今は重視している。

体が資本だ。まともに頭と体が動かせる時間(物心ついてから老い衰えるまでのわずかな時間)で筋のいい手をどれだけ打てるか。

生き筋がちらと見えて、このシナリオは回避したいなという気持ちになって、与えられた選択肢にはなかった別解をひねり出し、切り抜けて、

なんかわかんないけど、生かされて今もこの世界にいることの不思議さよ。

厳寒にめぐりくる想い。Ordnung,Bildung

大寒シーズンである。

冬は、体調崩す。消化器系や呼吸器系。

 

今年大事にしたい問い。

「これってなにでできてるの?」
 
だいたいの答えは素材だったり、原料だったり。
作業自体も、一見すると単純労働っぽかったり。
 
むしろ、聞きたいのは、
現場の工夫、直感や閃き、
先人の知恵との相互作用だったりする。
 
可処分時間は、自由研究の時間。
少ないお金や限りある気力体力でも、
より良い選択肢を列挙し、最適解を判断するために使いたい。
買わないので済むのならそれがいいし、
いざとなれば自給できるようになるのもいい。

 

なるべく、精神状態は励起状態にしておきたい。

心の栄養、神経伝達物質分泌の呼び水になるものを吟味する。

幸福感とは神経伝達物質の放出と受容のことなんだと思っている。

 

聴く処方箋。店内で流れるBGMが印象的で、思わず曲名を尋ねたところ、曲目リストの表示画面を写した週末。そして、ググってみつけた。

ホットコーヒーと果物、ヨーグルトを食卓に並べて、

朝ごはんできたよー。ってシチュエーションで聴いてみた。

フリーBGM素材 『Breakfast is ready』 試聴ページ|フリーBGM DOVA-SYNDROME

ヘビロテして脳内音楽で自家中毒っぽくなってきたら耳直しにゆったりめのひらひら。もいいかな。
 
発達障害で、依存になりやすい脳だという自覚があるから、
幸福感は自給できるならそれが一番だと思う。
逃避したい日常があるならば、それだけ日常生活が地獄なわけで、
荒廃した生活をリビルドするのも大儀だが、
切り盛りが下手なまま徐々に問題が堆積していくうちに荒廃した生活環境(ゴミ屋敷とかね)しか知らないまま育って、
再建どころか、いまだかつて生活をビルドできたことがないような子に基本的な生活習慣や生きていくための知恵を授けるのはもっと大儀だと思う。
 
あまりに内面が荒廃して、長い間補給も手当てもなく戦い続けてきていると、生きていくつもりもないかもしれない。死ぬのは怖いとか、痛いのや苦しいのは嫌だからまだ死んでないだけかもしれない。生きていく気がなければ大きいお金を稼ぐ気も起きないだろうし、生きていくための知恵や仕事や受験のための知識・技術も無用のものとなる。
 
ゲームやアニメなど逃避対象に逃避している時間だけが生きた心地がして脳内伝達物質が分泌できることで、やっとのことで、自他を殺さずに済んで生きながらえてきたというのもある。(保安的観点)どこかでだましだまし引き延ばしてきたのが限界っぽくなることがあるかもだけど。
 
いずれは突きつけられること。
色々とため込んだ収集物(趣味のものなど)も自分が死んだら全部ゴミ。
 
病みつつ霧やもやがかかった回らない頭ではあるけれど、一日のわずかな時間だけでもまともに精神が活動して、見聞きすることや読み物などのインプットや以前考えたことの続きを書き続ければ、だんだん次に何をするかがはっきりしてくる。
儂の場合、それが片付けという形となったが、概念としてはオルドヌング(Ordnung)だった。
アーミッシュの生活の文章でオルドゥングの表記がヒットしたが、

SFC小論文を学ぶ! 科学技術の発展と暮らしのあり方 ?! ☆

オルドヌング(Ordnung)なんだろな。)
 
何をやったらいいかわかっちゃいるけど、体が動かない、ついていかないというのが、もどかしかった。
体力の低下、というよりは、もともと虚弱な方で代謝もよくないから、先天の気も後天の気もそんなに持ってないけど、成長期という名の天然のドーピングシーズン(成長ホルモンなど)で底上げされていた分のボーナスを加齢によって使い切って、元の虚弱に戻っただけかもしれないし、体内時計に合わない勤務体系やら体力に見合わないハードワークで止めを刺されて脳は壊れ、カラダはボロボロで回復がめちゃくちゃ遅いからかもしれない。
5年前のこの時期はキャリア的には再起不能だと思ってたし、JASSOの奨学金(第一種と第二種とを併用貸与)の返還期限猶予の作文を自尊心だだ下がりの気分損害モードで書いていたんだけど。のちのマイナス金利でスイッチ入って、繰り上げ返済でスコーンと完済できるたあ、予想だにしてなかったけど。
 
ビルドゥング(Bildung)は18歳から22歳までの大学学部の期間限定で、それなりの形を完成させなきゃならない(納期は入社試験)みたいなイメージで高校大学と過ごしたが、最近はむしろ「生活が陶冶する」(ペスタロッチの言葉)という言葉が刺さってきていて、学卒後の生活を実践する中で徐々に形作られるほうが大きい気がしている。

生活教育(せいかつきょういく)とは - コトバンク

 

今年やりこんだら見えたもの

初雪が降る前、木枯らしで枯れ葉がかなり落ちた頃。
枯野見散歩で苔の黄緑~浅葱色っぽいのがすごく鮮やかだったのが、
晩秋の記憶。
雪が降ると苔の色があせた印象。

初冬でも香りで南国感を感じられたのは、山茶花が沢山開いていた12月初め。
臘八接心ウィークだなあって思ってでかい禅寺行って、
凛とした場所、古い木造の建物の匂いとひんやりとした空気感、

暖房の匂いにぴりりと引き締まる思いがして新鮮だった。
12月8日頃、初雪かなというタイミングがひとつ仕事の区切りらしい。

でも、去年まで儂の中では文化の日立冬ぐらいがひと区切りで、

ああ、活動期終わったな、もう冬(ダウン期)だなと思う。目安は梅見まで。


今年は、暦、旧暦や二十四節気をやってるから、霜降くらいか、と目安ができた。
9月下旬に金木犀の香りに骨抜きにされて、10月初めに台風が抜けて、秋晴れが続いて、ちょっと気分も安定するとき過集中という冒険をした。反動の虚脱と気温低下が重なって、冬は早くきた。ぼーっと過ごした。本格的に雪が降る前にかんじきにアマニ油を塗っておくとか、もっとやれることはあったが、ぼやぼやしていた。一方でミニマムに暮らす、というのは実験できた。

去年、一昨年ぐらいか、疑問を持った。
もしカレンダーやメディア(PCやスマホ、テレビや新聞など)がなかったら、
自分は今がいつなのか、これから暑くなるか寒くなるかなど、どうやって知るのだろう?と。

まるまる一年以上かけての生活体験の中で導出した解は、
その季節季節で巡りくる風の香が、幼いころからの記憶を呼び起こすことで、
今がどういうときかおおよそ知ることができる。
風の香、

といっても、

花や草木の匂いが風に溶け込んでふんわり香っているのだ、とも。
太陽の光の加減でも感じ方が変わる。うつろうものだ。

数十キロ移動したくらいで、1週間ぐらい季節が進んだり戻ったりするのも実感した。
地理的移動は場所だけでなく時間、時代を遡ることも伴うイメージは文明が発展途上か先進かぐらいの意味合いでは認識していたが、それは先進国から発展途上国に昔ながらの暮らしを見るとか、首都圏から新幹線に乗って目に映る田舎や地方都市の風景で、発展する前はこういう段階を経てたのかなとか思って見るときで、
ちょっとした通勤・通学・通院の距離について意識してなかったから新鮮だった。

鼻がツンとする冷たい日に、餅でもふかすときの、白い湯気に酸っぱいような民家の温もりを感じる匂いには、切なくなる。
冬以外の季節でも夕暮れ時のご飯作ってるっぽい民家の匂いにも切なくなる。帰り道、乗り換えなどで郊外の住宅街を横切るなどで不意にその匂いと遭遇した日もあった。

切なくなるのは、自分が育った家でなく、よその家なら当たり前のように家庭で温かく迎えてくれてそうなそういう匂いに包まれてるんだろうな、など幼いうちから何度となく想像していたから。自分の家ではそういう匂いがしないから、なおさら手の届かぬもののように思えてた。

思えば自分ちの匂いがわからないのはあまりに慣れてしまっているからで、
ガチ掃除をしてみれば、いかに目に見えない菌や虫とともに暮らしているかが分かってきた。
歯磨きも掃除も、菌のマネジメントだな、と捉えるようになった。
漢方で気をめぐらすのにキノコって聞いて食べる頻度上げるようになった。

去年秋ごろから、日光浴を意識して、日の出散歩してたが、
日を待つ場所で日が差し始めると喜ぶというある種の太陽礼拝の儀式のようになり、
今では、曇り空から気まぐれに太陽が顔を出しただけで嬉しいという
脳の回路が開発されてきたようだ。

今年の正月から基礎体温を測るようになったのは、今も続いている。アプリだと外れがち。
生理周期がもろにメンタルを左右し、作業量のパフォーマンスと相関するのが分かって、じゃあ、だめっぽい時期だけでも予測できるといいなくらいの気持ちからで、妊活目的ではない。
10代20代よりかは血気が下がってきたんだな、体が変わってきたなと感じる。

あとはリハビリトレーニングも一年近くやった。リハともも増えたか。60歳ぐらい年上だけど、干支一緒だねー。みたいな感じでフラットに。


読み書きや縫物など根詰めて目を使う作業は血を使うようで、
ちょっと体がしんどいからと苦痛を紛らわそうと、ネットニュースなどをだら見するのも悪手かもと思うようになったら、ネットは使うには使うけど、生きてみてて思いついたことや知りたいことが出て来て、想いがたまったら使う、みたいな感じで使い方が変わってきているように思う。

日没後は聴覚と触覚によるインプットの方が心地いい。

時間があっても気が向かなきゃやらないというかできない。気が向くには天候と体調が適しているのが前提。

寝起きの体調の感覚、睡眠時間のログ、基礎体温のログ、外気に触れて風を読む、実際に日中活動で一日プレイして、やろうと思ったことがやれたか、寝付きやすい程度の活動量だったか、活動量に対するエネルギー摂取は適切だったか、季節(温度湿度)変化に対応できているか。

徐々にプレイログがたまる。単なる時系列データでなく、感情とセットのひとまとまりの記憶として蓄積され、こういうときどうするか、というフロー図が描けるようになる。フロー図に、箇条書きで選択肢を列挙する。有効な選択肢はアーセナル入り。

セーブとロードは場所記憶にアクセスするのと前回のプレイログの呼び出しからなら取り組みやすいなと気づいた。