ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

雪待ち食っちゃ寝

夏をやり切って白露の甲子はとにかく休む一択だった。食養生と睡眠に気を付ける。

食については御食国若狭おばま食文化館でインプットしてきた。

旬の物、地の物で夏の疲れからの回復食を拵える。

里芋なら芋煮にしろ、煮っころがしにしろ芋頭を選ぶが、『徒然草』60段に出てくる盛親僧都を思い出すもまだまだ己の徳は至らぬところばかりで修行が足りない。

芋より早くから出回るのは茎の方で、芋茎(ずいき)はあく抜きが肝心。山中温泉蕎麦屋のすこでハマって、食生活に取り入れるようになった。

瓜系はかもりや姫冬瓜にも手を広げ、煮物をやるようになった。万願寺唐辛子など甘唐辛子系も食べるようになった。辛いのは大体グレている。

夏が長引いた感じで秋もずれ込んでいて、睡眠について『黄帝内経 素問』の「秋三月、此謂容平。~早臥早起~冬三月、此謂閉蔵。~早臥晩起、必待日光」のくだりを想起しつつ、目の前の季節のうつろいの中でどのタイミングで適用すればいいか考え続けていた。

秋をちゃんとやったか不安になったが、栗や胡桃も見つけたし、フジバカマとアサギマダラを見たし、濃密な金木犀の香りにふわふわして、入れ替わるように銀木犀の香りを楽しんだ。月夜の下でぼわ~と浮かび上がる銀木犀の白い花は緩やかに長続きした。紅葉もカツラのカラメル感、モミジやドウダンツツジの赤、イチョウの黄色などポイントは押さえていた。

兌→乾の節目の寒露は甲午だったから次の甲子まで半分過ぎたところで、

スイッチが切り替わった体感があった。千葉神社の福徳殿で各星宮の説明書きを読みながら一周した体験も効いているだろう。

秋土用を抜けて立冬に天赦と甲子が重なっていたので、

そのあたりで記事更新できるかなと思ってはいたんだけど、祓戸大神の御前を拝して片付けスイッチが入っていたからそれどころでなかった。

秋の衣替えは徐々に進める。山々の木の葉を落とすのに連動するように、身軽になっていくイメージでやっていった。片付けは秋が適しているようだ。

片付けも情報編集・圧縮の段階になってきて、どうしたらいいかパッと浮かばないものも結構出てきてあっぷあっぷしてきたと感じたら、秋の山の匂いに誘われて散歩に出かける。雨上がりや夜露に濡れた枯れ葉、カラカラに乾いた枯れ葉、土の匂い。記憶は静岡の秋の遠足、教室に閉じ込められるよりよっぽど生命力が湧いてきて、地に足がつく感じがする。思考が発酵・熟成してアイディアが降臨するのを待つ。

今ぐらいは日没が最早シーズンで冬が本格化する。閉塞成冬。乾→坎。

食は根菜メインでコトコト煮込みものが増え、こってりしやすい。

霜が降りるまでに収穫を終える。雪降り積もれば農作業が止まる。

年末に向けて大掃除、ってほどでもないが普段行き届いていないところに手を入れる。

地元の広報で年末年始の業務案内を見る。日帰り温泉の営業時間やゴミ収集日も確認する。温泉三昧の年末年始はここ数年ご無沙汰だ。

時雨る冬の夜は特に読書シーズンで捗るから12月~2月頃までの図書館の開館日を把握しておく。ごっつり読みたいものがあれば年末年始や蔵書点検で通常より長く借りられるときを狙う。冬至から年度末の3月まで駆け抜けるようなのは手続き系が多いからかな。

冬の寒色系の月の冴え冴えとした光を眺めるのが楽しみ。冬季の日照が足りない分を補える気がしている。古文だとすさまじき例に挙げられるとか源氏の君は好んだとか読んだっけ。冬の星座を思い出しながら星空を見上げる。神話や古文や道学などに親しみやすい。

そろそろかんじきに油を塗っておかないと。

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