ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

貧乏学生の本代の節約技法。検索力とリテラシーのリミットブレイク

日本語の使い手で、漢検2級レベルの漢字を習得し、

簡単な作文の際、空で正確に手書きができる読み書き能力。

そんなもの、二十歳超えた大人なら当たり前に身に着けているだろう、

くらいに思っていた。

いや、今では実に有難いことだと思った方がいいくらいだろう。

 

ケータイやPCの普及で、

特に手書きの機会が減って、運用能力が怪しくなっていくトレンドは、

中学・高校時代に親や先生方はじめ、大人を見て肌で感じてきた。

 

だから、反面教師にして自分は早いうちから、

大学生・社会人レベルの漢字にも親しむようにしよう、と思った。

その頃、漢字検定というのが学校を通じて受験できたので、

参考書・問題集をやって級を駆け上がった。

ゲームのキャラのレベル上げ感覚だった。

 

大学に入ってすぐに図書館の蔵書を引っ張り出して適当にページを開くと、

自分は漢字なら自信があると天狗になっていたが、

所詮は新字新かな止まりだったのだ、と気付いた。

古い蔵書は旧字旧かなで、かなり冊数がある。

同額の授業料で蔵書をフルに活用したいなら、

新字新かなの「限定解除」をする必要がある。

 

手当たり次第に気になった新刊本を買うお金は出せないな、と思った。

書籍戦略は、生協での立ち読み+図書館本+大学近くの古本屋+新古書店等。

よし、これでいこう。

そうだ、写経しよう。

JISコードと新旧漢字の表が載っている本を借り、

「亞」から始めてノートに写すのを1周、2周…だいたい覚えるまで繰り返す。

https://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/ref/old_chara.html

18歳からの旧字旧かなの手習いである。

もし、大学生の夏休みか、社会人の人生の夏休みか、

何でもいいけど手すさびに何か手習いやってみようかな?という人がいたら、

限定解除にチャレンジしてみるといいんじゃないだろうか。

青空文庫の旧字旧かなの作品もいくらか楽に読めるだろう。

 

勿論、一朝一夕じゃ身につかないし、

周りにそういうのがわかる理解者がいなくて孤独を感じるかもね。

それなら、関口存男の名言、

「本当に語学を物にしようと思ったら」…のくだりを読むがいい。

https://www.sanshusha.co.jp/sekiguchi/

”まず友達と絶交する”

大前流人生を変革する3つの方法で言われている、

第3の付き合う人を変えることに近いと解釈もできようぞ。

 

そんな古い文字なんか読んで、なんかメリットあるの?

という人には、例えば、デジコレ(無料)がスラスラ読める。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918319/13

随分、昔の変人の言葉に触れ、発掘し、師友とする悦楽を味わってしまったら、

もはや独りではない。

もっとライトユーザー向けは?と聞かれたら、

山下泰平の趣味の方法という”明治から大正あたりの変な文化を調べて遊んでいる人”がいるので、とりあえず、そういう世界もあるのだと見てきてほしい。

https://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/2020/05/10/172400

 

英語に限らず外国語のリテラシーも身に着けると更に凄まじいことになる。

外国語×検索力→Google召喚魔法の詠唱呪文の幅広さがアップする

触れてきた外国語などはプロフに。→https://profile.hatena.ne.jp/akisibu/

高い翻訳書をわざわざ買う費用が浮く。

テキストがデジタル化されててネットで参照できるなら、

明治とか昔の留学生みたいに、わざわざ洋行して現地で本を見せてもらう渡航費も滞在費も浮く。

図書館やネットで翻訳も参照しつつ、ネットで原文参照して解読するという経験をどこかで積んでいれば、一人で、あるいは少人数で解読チーム組んで読みこなすこともできる。

ペアプログラミングペアプロ)の手法のように、英語ならペア翻訳(ペアトランスレーション、略すならペアトラ)の相手も見つけやすいだろう。

このご時世でも嬉しいことに、ペアトラもオンラインペースで体制作ればリモートで完結できる。

あまり英語が得意でないと自覚する人たちには、ペアトラの相手として大学受験で英語文法ぐらいは既に何周かやりこんでて、構文解析などすぐ「ははーん」って見抜ける学力層と接点を持てると良い影響が得られると思う。

今後もGoogle翻訳の精度は上がるだろうけど、違和感のあるセンテンスを抽出して原文で確認する手立ては持っていた方がいい。

最後の砦として、人間の目視で確認すること。ここは疎かにすると痛い目見るから。

 

調査には、調査の端緒となる情報を得ること、

平易にいうならば、きっかけがある。

鋭敏な精神が要る。

すなわち、アンテナを張り巡らせ、些細な情報でもひっかかりを持つこと。

こだわりが要る。

すなわち、気になることを調べ考え続ける根気が続くこと。

 

でも、大切なのは自分が気になる問題とつきあい続けることだと思います。学生たちには、「なんかおかしいな」「なんかヘンだな」と違和感を持ったら、それを忘れないようにしておきなさい、と言っています。

https://book.asahi.com/jinbun/article/12911736

こういった旨の話は哲学科で勉強していた頃、

教授たちから聞かされたものである。

哲学科で時速2cmの精読の時空を体感したことがある。

 

演習などで原書講読の講義に出れば、配布された資料の一語一語を調べ、解釈するのに膨大な時間がかかる異空間に飛ばされる。時空魔法のデジョンみたいだが。

頭はクロックアップしまくる。ああでもない、こうでもないと曖昧さに耐えながら、物理的な文字列の進捗はさっぱり進まないんだけど、読みは深まる。あと、なんだこの気は…みたいな霊圧がすごい。

まるで今この教室だけ世間の流れとは違う、ほぼ停止してしまっているんじゃないか…スロー過ぎるにも程があるであろう、とツッコミ入れたくなるぐらい。

濃密な読書体験で演習の時間が終わると、時の流れは正常化し、「霊圧が消えた…?」となる。何度も出れば、そういう世界だからと慣れてくるが、耐えられない人もいるだろう。

時速12ページ(1ページ5分)が遅読家とみなされるなら、

時速1行以下の時速2cmは超遅読どころでは済まされないが、

あの時空にかすりもしないで生きてきた人々に対して、

なんて呼べばいいか、今は言葉を持ち合わせていない。

 

さて、端緒情報から元ネタの出典に当たって、本文の該当部分を見つけた例を示そう。

残念ながら、見つける過程はブログでお見せすることはできないのでね。

・現代語のテキスト

けれどもその一方で、経済の本当の活性化は、「待合や料理屋や踊りの師匠三味線の師匠たちを繁盛させられるかどうか、そこにかかっているのだ」という。

https://1000ya.isis.ne.jp/0338.html

 

・旧字旧かなのテキスト

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918324/47

この資料だと画像情報なので、目次も全文検索もないので、ひたすらペラペラめくって目でスキャンしていくことになる。辞書など紙のページをめくって読んできた人なら、そんなに苦労はしないだろう。

探し求めて読む人には、cover to coverで全部通読するハードルを掲げる必要はない。探すために目で追ってたら結果的に通読してしまった、ということはある。

 

ここまでざっと読んで、

手習いを始めて、端緒情報から見つける過程をすぐ行動に移せる人は少数派だろう。

もう何年も前から、Google検索結果の劣化を感じて、検索しても思ったようにヒットしないもんだから面白くないなと感じてきた。ある意味それも「世間が面白くない」に含まれるかもしれない。

”世間が面白くない時は勉強にかぎる。失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ”

関口存男の名言に付け加えるとしたら、儂なら失業の救済は図書館などで日向作嗣の本をチェックする。

https://booklog.jp/author/%E6%97%A5%E5%90%91%E5%92%B2%E5%97%A3

高めた検索力とリテラシーを職探しで応用するなら、

求人検索等で目利きして情報活用するとかね。これも実利に直結してるよね。

 

端緒は身近に溢れている。

akisibu.hatenablog.com

人の中に根と翼と芽を育む

しけ寒い夏土用に、自然界での肌感覚は6月。

なのに、人間界の暦は8月。

今年は何もかもが異例に思える。

この夏土用~お盆はがっつりひきこもりだ。

束の間の小康期を有効活用できたことにsatisfied。

 

窓辺から差し込む暖色光が目をそそる。

外に目をやり、夕日を眺め、「勝てないなあ。」と呟く。

細部への着目と色彩へのsensitivityは

絵描きの眼差しを継いでることにrootsがある。

 

 

Zwei Dinge sollen Kinder von ihren Eltern bekommen: Wurzeln und Flügel.”

ゲーテが本当に言ったのかよくわからないけど、

言いそうだなとも感じさせるものがある。

 

翼なら中学時代までには受け取っていた。

発明・芸術・科学技術。ルネサンスへの憧れ、イタリア、西洋文明。

エスペラント語ギリシャ語、ラテン語、広くインド・ヨーロッパ言語への興味。

インド神話。難読漢字。

 

根は大学時代から掘り始めた。

姓名・地名・歴史・伝承・遺伝と育ち。石碑解読。旧字体異体字変体仮名

 

芽も培った。

「すべての芽を培え」https://www.aozora.gr.jp/cards/001395/files/49895_42654.html

和辻哲郎の『偶像再興』。東大後期入試に出たことがあるから、解くのに読んだのを今でも覚えている。

大学に入ってすぐFree Study Noteに100のお題を書いてみた。

その時、関心を持ったことは何でも、高尚なのも卑俗なのもお題として追加していく。

時々リストを見返して、以前の関心と今の関心のdiffをとる。

最近ご無沙汰なお題があっても、構わない。

「辞めたんじゃない、潜っているだけだ。またつっついてやれば浮かんでくる」

 

自分が経験したくともできなかった経験をしてきた人を見つけて

話を聞く、読むというのは、

やりたかった経験がはっきりするほど、

心理面でのGreat Attractorが作用するのか、

持ってる人間感知器が反応する。

 

根と翼の間には、芽たちがぐんぐん伸びててくれるとよいのう。

リモート肩とリモート腰を自力でケアする

PCやスマホタブレットを使っているとき身体は左右対称でない。

そして、姿勢を支える環境設定次第で、心身にかかる負荷が変わる。

参考

https://www.tuad.ac.jp/2020/05/86484/?fbclid=IwAR1__k6cEAQCVb31uzD8hQfEQkmE4h9IHg4roMp_G2hy2a1bj9VIcFqViA4

 

体を横たえて観察する。

肩甲骨も骨盤も左前、右後ろに回旋していた。

回旋の程度の甚だしさが不快感の度合いに影響するように感じる。

 

手で身体を流れる線、ときどき光って見える線をなぞるように撫でる。

線と線がぶつかるところで手を止める。要所だからだ。

肩甲骨の下の方で手が止まったが、この回旋を一度リセットしないと。

今回の儂は、ふっと閃いたんでクイクイした。

そしたら、クイクイしてない他のところもグググと動き出した。

 

もっと一般人に伝わるように言語的にわかりやすく説明できないのか?と言われたら、その動作や体感を言語に置き換える作業を儂より素早くできるような適任者は、おそらく小説家か詩人且つ整体や手技療法も嗜んでいる者あたりだと見当をつけている。

少なくとも儂じゃない。

ただ、誰にでも全く同一のインスピレーションが降臨してくれるわけじゃない。天からのラブレターが直接届いた当事者は、誰よりも早く中身を見ることができる。見た中身について他の人に伝えた場合、理解してもらえるかもしれないし、全然わかってもらえないかもしれない。他者にわかってもらえない体験から伝えることを諦めることも多々ある。手紙の中身の話を聞いた他の人もまた自分なりの理解で、別の人に話をする連鎖は、取り次ぐ回数が増えるとどこかでコピーエラーが累積する伝言ゲームだ。

届きたての手紙の中を見て、これを何と言ったらいいか?という問いの答えをなんとかひねりだしたのが「クイクイ」や「グググ」だっただけ。

 

さて、リセットの方法は様々だ。流派によって教義が違う。

だが、痛みを抱える患者の立場からしたら、

そのリセットの方法で辛さがなくなるかどうかが問題だ。

どの流派が正しいとか権威があるとか派閥争いにも、

理論について誰が一番エレガントに説明する能力があるか選手権にも然程興味がない。

それよりも、このかけがえのない自分にとって、

やってみて実際に効果を感じられるか否かが重要だ。

「験なくば礼不請」?いや、験がなきゃやってみる意味がない。

今日やったクイクイが、再現性があるかわからない。

明日の自分に効果があるか?

明日は明日の身体の使い方をする。

どんな動きをするかなんて予見できない。

回旋パターンを知って一回意識したことのある脳で使う身体と、

パターンを知る前の無意識な脳で使う身体とで、

一見同じようで微差がある。

微差を感じる毎瞬毎瞬を脳の記憶に刻み込む。

これを積み重ね、積分してできている脳神経をはじめ全身のネットワークが、

今も生成変化を続ける儂の物理的な資産だ。

台所実験シリーズ、蔵出し。

20代の頃、学校の勉強は頑張ってたけど、家事はダメダメってタイプで。

お粗末すぎて料理とは呼べない、寧ろ理科実験。

そんな感覚だから、台所実験というネーミング。

 

大して家事なんかやったことないのに、

県外の大学進学をきっかけに一人暮らしになって、

いよいよやらざるを得なくなった。

家事能力レヴェル1から自分育てゲー。

ごはん作りながらリアルタイムで書いていた記事がある。

 

 

時期的には5セメの講義内容が本格化してくる2007年5月頃から。

シリーズを蔵出しした。(リンクは一例)

読みながら、「薄層クロマトグラフィ」って何だっけ、と遠い記憶。

blog.goo.ne.jp

 

類例。

家事へのステ振りしなさ過ぎて、奮闘するおじいさんが生活を楽しむまでの記録。

 

booklog.jp

https://booklog.jp/item/1/4344032039

タケノコの皮で梅ちゅーちゅーは定番行事

儂の観測範囲では花暦からしたら2~3週間早まっている。

暖冬の影響だろうが、なんだか変だ。

熊はあんま寝てなかろう。

冬の間に虫は大して死なんだろう。

 

ヒトの移動の制約で様々なルーティンが崩れている。

今まで通りのやり方をちょっと工夫するだけで、

新鮮味を感じる。

毎日が新しいことだらけで、

一日で片付かない事案も多く押し寄せて、

息もはかはかの首肩バリバリ。

変な頭痛で一瞬妙に心配になることもあるが、すぐ対処する。

唇がカパカパなら乾燥して脱水症状からくる頭痛で、水分補給。

首凝り由来の頭痛は、風池のツボあたり押すと気持ちよい。

 

問いが浮かぶ。

どこか、ほっと一息つける拠り所みたいなものは何か?と。

即座にファーストアンサーが導出される。

おらいは昔ながらの季節行事ださね、と。

 

今時分は山菜、タケノコ。

タケノコを糠と鷹の爪で茹でて、定番の若竹煮。

副産物のタケノコの皮で梅ちゅーちゅー吸うのは定番おやつ。

ほんのりとしたタケノコの甘味と

梅のしょっぱすっぱさのマリアージュ

サザエさんでやってたらしいが、

ばあちゃんちで小さい頃から吸ってたから、

何とも言えん懐かしの味。

 

動物性たんぱくとあわせる発想なら、

かつおみりんで一味変えても好きだな。

梅たたき、鰹節、みりんちょぴっと。

 

croissant-online.jp

パンに合わせるのに洋風仕立てもありだな。

 

関連記事。ぬかを求めてヌカハウス。

akisibu.hatenablog.com

脳の同期で見るもの。Facebookタイムライン、Yahooリアルタイム検索、Feedly、はてブ、note

気が向くとnoteを書くこともある。(2020年お盆の一件でかなりヒケヒケ。リンク差し替え)

まっとうなお仕事のご依頼に心より感謝申し上げます|akisibu|note

note.com

はてなブログとnote、違いってなんだろう?どう使おう?

と、惑いつつ、noteにも少しずつ滞在時間が増えている。(読み専化してる)

はてなブログでリンク挿入設定あったのとか忘れてた。突然クラッシュして書いたものが消えて撃沈回避なんかは特に大事。まとまった記事にしなくてもいい感じでハードル下げている感はある。

 

はてなブログとnoteと各SNSとコミュニティごとに毛色違うけど、

やっぱり儂は儂だろうな。

 

日々変わりゆく自分の足跡がどこに投下されるかは、テーマごとでざっくり分けているので、書評系ならブクログかなあ(2020年10月の一件でヒケヒケ→読書メーターに軸足を移す)とか、料理系なら象牙の塔かなあとか、方々に書き散らしている。

ハングアウトとかオンライン通話で、過去にどこかで書き殴ったことをより明晰に感情をコントロールして語れる自分を発見した。

自分でもわかっているのかわかってないのか難解だったりモヤモヤしたりを書いてぶつけることで、書かれたテキストとモヤモヤを頭に持っている自分を切り分けて、客観化しやすくなるのって、文章をブラッシュアップして論述試験対策にもなるし、口頭試問対策にもなるんだろう。

 

思って書いて考えて、吟味して話す力。

ブログって発声練習なんだな。って問題意識とファーストアンサーを共有できた時、

再訪したページ。

このブログ名について - 発声練習

そして、連想したのが『ベロニカは死ぬことにした』のゼドカ。

試し読み可能↓。

https://bookmeter.com/books/570906?review_filter=netabare

p.43「狂うってどういうことなの?」からの、p.80ゼドカの「狂気とはね、自分の考えを伝える力がないことよ。」

からのくだり読んでて、

大学時代眺めた『留学生』ってそんな近い記述あったような…

ロッセール先生の授業で使ってたテキストだなーまでは思い出せるが、そこから先がうろ覚え。

jp.librarything.com

確かこの本で見た。

儂は状況モニタリング能力は自信ない。 SEQ低め。

 

問いを持つこと、問いを立てることのその先についてで、問いを共有できる仲間・先達・後輩となら、グループ学習・グループディスカッション・グループ面接などグループものがものすごい苦手なコミュ障だけど、やりようがあるかもしれない、などと昨夜の西岡壱誠の逆転人生の聴いててふと思い浮かんだ。

入るには入ったがコミュニティに馴染めるかって問題は、リアルでもネットでも人が絡めば共通だもんね。

続・ひきこもり無双

それまで得てきた、頭で概念の積み木遊びをやる類の知識経験を一旦脇に置く。

仕切り直して、1から始める。

頭で考えるのを停止するから、胸や肚、腰、子宮、肌感覚で処理する。

蛮勇に陥らない気概、節度ある欲がどういうものか、身体にフィードバックが来る。

白か黒か、グレーゾーンか。頭で考えてたら白黒はっきりさせたがるし、無彩色のグラデーションの座標軸(x軸)でどの値か?みたいな理屈っぽさが、

良寛さんの書や西田幾多郎の書、掛け軸やふすま絵などの水墨画で色味を帯びた墨の色を知覚し、利休鼠など緑がかった灰色もあるのを目の当たりにし、仄かな香気漂う(たぶん、龍脳だろう)空間のしっとりと落ち着いた感じや風の流れ、明かり取りなど諸々がゆらゆら合わさって展開されるライフ・フィールドをまるこまんま全身で堪能する感覚に圧倒されるが、「ハロー、ワールド!」っていうより「唯今、東洋!」って感じだ。

目を瞑って、気を飛ばしてもいいし、やってこられてもいいし、その何モノかと対峙する。あるようでない、なさそうであるそのモノと、ここにいるようでいない、いないようでいてそこにある自分と。所を変え、時を変え、何度も何度も遭遇する。「やあ、また会ったね。見知らぬようじゃが、懐かしくもある」

やっておくべきは、思い出作り。

 

さて、国家的触穢にやあらむ、物忌みモード。

毒の名を五六七(忌むな)と、ふるべゆらゆらとふるべ。

さにあらば、「関ケ原」って呼ぼうぞ、と姉妹して語りき。

天下分け目なるゆえん。混乱のさなか、裏切り寝返りの兆し。

写経(書き写し型のインプット)もよきかな。

読経(音声でアウトプット)もよきかな。

法要(仏法のエッセンスのインスピレーション)もよきかな。

講会(原書講読のゆるい集まり、オンライン読書会含む)もよきかな。

詩歌管弦の遊び(インスピレーションが降臨しての変性意識状態)もよきかな。

村山修一の陰陽道のメモ書きを虫干しして、

清明に向けて心の準備をば。