中秋の名月を乱視の入った裸眼で見上げると、
月が分身の術で10個以上になり、何倍も大きく見える。
月の周りを青白い光が囲い、膨張したり収縮したりを繰り返し、
だんだん大きくなっているように見えてくる。
眼鏡で矯正すれば、小さく、くっきりと1つ。
カメラを通して見れば、月の光も月に照らされた雲の光も明るさという点では同列で、人間の眼とは異なるカメラの見え方があるのに気づく。
ぼんやり月を見て過ごした翌朝はなんかもう色々と忘れてポカンとしている。
先行刺激のフィルターをかけて後続の出来事を解釈しているのを意識する。
タイピングのホームポジションやキーボードのショートカットをある程度習得してから、速く押せるがアレクサンダーテクニークの考え方から分析するとどうみても無理があって長持ちしない手の置き方に気づいて改める。間違ったまんま回数を重ねると後々痛みとして跳ね返ってくる。痛みに鈍感でいるうちに、どこからか不可逆的変化になるが、そうなってしまっては後悔しても遅い。
ピラティスを通じて心身のニュートラルポジションについても徐々に感覚を脳に馴染ませていく。自分のコンディションがだんだん安定してくると、自分が過ごす空間配置についても立ち返るポジションについて考え出すし、自分が使える時間についてもルーティンを改良しだして、定点探しに意識が向く。