ド地味生活

滋味ある地の暮らしが精神を耕す

追加アビリティ「心の砂絵」を会得した日

目が疲れたら目を瞑って息だけする

息だけしてりゃいいと意識する。

音と筋肉感覚、皮膚感覚に意識が向く。

臘八摂心シーズン、成道会の日12月8日は規矩大乗の座禅修行。
きっかけは、前の日に道端で徹通和尚荼毘の墓に出くわしたから呼ばれたかなと思って。

警策も試しに打たれてみた。太鼓のドンを後背部に受けた感じで、自律神経やら神経細胞の向きがあっちこっちばらばらに向いているのを整列させる感じを受けた。

摂心不乱。
コンセントレーションできない(マザー2のステータス異常)

PSI(MOTHER2) - アニヲタWiki(仮) - atwiki(アットウィキ)

のを、
「そうだよね~、集中できないよね~、なまものだもの」と宥めて慰めて、気が済んだら、
気を取り直して、さあ、姿勢を正して、次行こっ、次!って、
運命に打ちのめされてひっくり返ったところから寝技をかけて反動で起き上がって七転び八起きの寝業精神なんじゃないかと思ってる。

だから、障子や畳や壁のスクリーンに投影された様々な蠢くもの、過去の記憶の断片的再演を一時は見入るし、前のめりになってしまうんだけど、
寝技寝技と思い出して、過ぎ去りゆくべきものどもとして、
哀惜の念なのか目元の表情筋が緩んだ状態で暫くすると、
スクリーンの諸々が砂の一粒一粒がさらさら風にさらわれていくような…

「心の砂絵」を会得した。

そうだなー、映像だとFF6のラスボス、ケフカ戦で倒すとチリヂリになるあんな感じ。

で、散ってったら、また姿勢を正して、足は結跏趺坐に組みなおして、背骨を下から順々にのせて、舌先の位置を硬口蓋のホームポジションにセットして、指で印結んで軽く親指をつけて、視線を1mくらい先の下に落として向けて…って体戻して心も持ち直すようにやる。

「心の砂絵」の中で浮かんだこと。

永平寺でも座ったっけ。吉峰寺が気になったけど行けてない。
東尋坊芦原温泉もまだ。
輪島(御輪島じゃないかとインスパイアきてる)の行くべき場所はまだわからない、七尾どまり。その場所、現地に行くと、星座の星と線のように図形や次行く方向性みたいなものが見えることがある。

3月の彼岸旅行は東北だなってのは確定してる。

FF6でガウ(ジョブ 野生児)って、親しみ感じてたんだけど、
職業:野生児(隔離児)って、どこか発達障害に重なるとこがあるのかも。

映画のMockingbird Don't Sing (2001)見てて、

https://www.imdb.com/title/tt0273822/

画面の向こうに、ざわめく諸々。
ここで、心の砂絵、と意識すれば、
上演(トラウマの再演だったりする)は続くんだけど済むまで待てる。
気が済むまで味わうことが大事みたいで、途中で切ると消化不良になるから。
心理的間合いの意味で)しばし離れて一旦脇に置いて、
解釈が揺らめく。
英語、字幕なしだと聞き取れる語彙少ない分、ネットで情報補完。

ja.wikipedia.org